⑤自由意志は無い?

・自由意思はない?ーリベットの実験 

 

人間の自由意思について深く考えさせる有名な実験があります。

 

生理学者であり、医師であるベンジャミン・リベットの実験で、被験者に「ボタンを好きなときに押してください」と言っておいて、被験者がボタンを押したときの脳の活動を調べました。

 

当然、私たちの常識から考えれば、まず①「押そう」という意思が生まれ、そして運動のプログラムする②脳部位が活動して、そして③手指にボタンを押せという指令が送られて、ボタンを押すのだろうと考えます。

 

しかし、実験結果によると、ボタンを押したくなる意思が生まれるよりも0.5から1秒くらいまえに、脳の「運動野」がすでに準備を始めていたことがわかりました。つまり、最初に脳の活動が生まれ、次に「押そう」という意思が生まれ、そして指令がだされて「手が動く」というメカニズムだったのです。

 

自分の意思でボタンを押しているような気がしているけれど、実は脳の動きの方が先で、意識はずっと後だったということで、つまるところ人間に自由意思があるのだろうかという議論を再燃させたのです。

 

再燃させたというのは、人間の自由意思というのは宗教、哲学の長い論争のまとになっており、如何に人間の自由意思は可能なのかということを長い間西洋哲学は議論していたのですが、それが脳科学、神経生理学的な実験である程度の答えが出てしまったからです。

 

科学的な見地から言えば、自由意思は“ない”と考えられています[1]

 

・自由否定はできる

 

このように自由意思は主体的であるより、受動的な、反応的な側面が強いのです。

 

ただし、自由意思がないからといって、例えば殺人犯の罪を問えるのか、という問題に対してはおそらく罪を問えるのです。それは人間には主体的な自由意思が無いとしても、否定する自由否定の能力があるからです。

 

先ほどのリベットの実験を考えると、ボタンを押そうと思った時に、その一秒くらいまえから確かに脳は準備を始めています。そして一秒後にボタンを押そうという意識が生まれてきます。その時にすでに脳は押す準備をしています。しかし、実際にボタンを押そうという指令が下るまでに0.2秒から0.3秒の時間の遅れがあるのです。

 

①脳の活動 ②意思(ココに自由がある) ③ボタンを押す!

つまりボタンを押そうという意思が生まれても、ボタンを押す事を「阻止」することが出来るのです。ボタンを押したくなったかもしれないけど、でも押すのをやめる。そこに自由があるようなのです。

 

これは当たり前のことですが、他人を殴りたいという衝動が生まれたとしても、これは脳が自動的に発する意思なのでどうしようもありませんが。でも殴ることをやめること、制御することはできます。意思を行動に移す事を止めることです。

 

多くの人間が無意識や大衆の行動に流されて行動してしまう中で、自分だけがそれに疑問を持つこと、他の行動を出来ることがオリジナリティや個性に繋がると言えます。自分らしさは実は、他の人の真似をしないというところから生まれるのかもしれません。

 

・脳科学からみる個性とは―自分の認知をいかに疑えるか 

 

人間は「これは苦くない!」と信じたら、苦いものもの苦くないと感じる事ができます。これは一つの大切な能力です。

 

しかし半面そうだと思い込んでしまったら、その思い込みからにげることが出来なくなってしまう不自由さや、先入観に感覚や知覚が縛られてしまう危険性を伴っているのも確かです。

 

ここから類推すると新しい発想や人とは違う個性とは先入観や思い込みだけで流されてしまわないで、他に何か可能性はないのだろうかと考えていくところにあるのかもしれません[2]

 

個性というのは、自分らしさを表現する発揮するというより、いかに常識を疑えるか。周りからの外的な刺激にどのように反応するかという部分にあると言えるのです。


[1]脳は何かと p141

[2]脳は何かと p46